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執筆者の写真中原みき

はじめまして

更新日:11月16日



リラクゼーションサロンせん、セラピストの中原みきです。


「最初は女の子がいい」と言っていた父の希望通り私はこの世に誕生しました。待望の第一子として皆が喜んでいたそうです。


子どもの頃はお手伝いが好きで、大切な人が喜んでくれると「私も嬉しい」「もっと喜ぶ顔がみたい」と純粋に思っていた子。


長女ということもあり何かと「お姉ちゃんなんだから」と言われ、成長過程で「頑張らなきゃ!」とプレッシャーが強くなり過ぎて自己否定しやすく、何か苦しいことがあってもあまり口には出さず、だんだんと自分自身を粗末に扱い、やけくそになると、「もういい!」「別に…」「どうせ私なんかいらない子」と心の扉をバンッと閉めて殻に閉じこもるようになっていました。


思春期真っただ中に両親の離婚と父の再婚を経験。


心と身体のバランスを崩したことで生理不順、便秘になりました。過食、飲酒にはしったり、いっそのこと消えてなくなりたいと思っていたり、モヤモヤする気持ちをどう扱っていいのかわからず、涙が出てきたり、つらくて苦しい気持ちを考えないでもいいように楽しいことをしたり、私を幸せにしてくれるであろう存在に依存したりしていました。


本質的な部分は好奇心旺盛で冒険心が強いのに、恐れと不安からくる選択で行動していたので、客観視すると衝動的で気分屋で、「やめときな」「もう少しよく考えて」と言われても、暴走して痛い目にも合ったこともあります。


高校卒業後、関西の飲食店へ就職しましたが人間関係がうまくいかず退職。


次にやりたいことが見つかるまで…という気持ちで地元の工場でお世話になりました。 私は幼少期から父方の祖父母宅で暮らしていましたが、父からは「ここはお前の家じゃない。お前は何のために生きとるんか?」と言われ「私なんかおらんくなればいいんじゃろ!」と言い捨て、母方の曾祖母宅でお世話になりました。


20代半ばに入った頃に父が事故で突然の他界。


父も私も自分の気持ちを伝えることが苦手だったけど、本当は聞きたかった、「ねぇ父さん、私のこと大切?私が生まれてきて良かった?」ただただ父から愛されているという実感と確信が欲しかったです。


あの頃の私は自分の不幸を人のせいにして自分を守り、大切な人たちを傷つけ、ただ漠然と「幸せになりたい」というエゴイズムで生きていたように思います。


毎日が淡々と過ぎていた頃、母方の祖母が病気で入院しました。私がどうこうできるわけではなかったけどなるべく会いに行き、パンパンになった足を撫でると、「ラクになった、気持ちいい」と言われたことで、子どもの頃に感じた純粋なあたたかいものが流れ込みました。


30歳を目前にして、「私はセラピストになるんだ!」と再び故郷を離れる。


心機一転、30歳で新しく何かを学ぶことは毎日が新鮮で楽しかったです。アロマセラピーの知識だけでなく、心理学、基礎医学、統合医療の考えに基づくメディカルアロマやメディカルハーブを学びました。さらに、カイロプラクティック、リフレクソロジー、カラー色彩など今まで知らなかった資格たちにテンションぶち上げ〜☆当時の手帳を見返すと予定がびっちりと書き込まれていて、どことなく気持ち悪さと不安を感じる手帳ですが。


そして卒業間近、資格取得したはいいけど進路が決まらない事態に追い込まれます。医療機関を希望していたけど、ほとんどがリラクゼーションサロンの求人。あれ?何かが違う…何を選んだら正解なの?私のやりたかったことって何だっけ。ヤバイ、人生の選択ミスったかも…


そしてここから私の迷走期が開幕。


お金の余裕は心の余裕。「お金がない!」ってだけで思考回路がおかしくなります。貯金が減っていき、将来が閉ざされていく感覚。生活が不安だし、ホントにやりたいことを考える余裕もないです。


どこへ行ってもここじゃない感で職を転々とし、不足感で占いにハマったり、見える子ちゃんに依存。「その職場はやめた方がいい」「その男とは別れた方がいい」私には見えていない何かを見ている彼女に惹き込まれオススメされた転職先でイジメの標的になりストレスから体調を崩すようになりました。


「強くなるために必要」「あなたが弱いから」と言われたけど、癒しを提供する自分が病み、再び無職、金ナシ、男ナシ。落ちるとこまで落ちきったのか、「よし、セラピストから一旦離れよう!」


不思議な気持ちが湧いてくる。


「どうせならやったことないことをやろう!」と派遣登録へ赴き、何社かピックアップ。すぐ面接していただけた、建設会社の事務員になりました。


セラピストになりたくて、来阪したのにそれを手放すって何の為にここに存在しているのか、今までつぎ込んだ時間とお金は何だったのかと思ったり…


人のせい、環境のせいにして、助言してくれる人に頼った方がラクだったし、ずっとそうゆう人生を送っていたけど、「もう、やめたい!」と思えたのは自分軸のない私に自分で気づけたからです。


「誰かが幸せにしてくれる(してほしい)」と思っているうちは根本的解決にはなりません。


心穏やかで楽しい生き方を手に入れるためには改めるべき思考があります。それは、自分に起こる出来事は自分が選んだ結果だということ。


自分で自分を幸せにしていくために私は何に不足を感じているのか、一体何を望んでいるのか、どう生きていきたいのか、必要な答えはすべて自分の中にあります。自己探求して「本来の自分を生きていくんだ!」と自分自身に希望を感じていました。


『あなたはどう生きたい?』


今まで「私はどうしたらいいんでしょうか?」と答えを聞いて生きてきた人生だったので、自分がどうしたいかなんてわからず、もどかしく、その答えはしばらく経ってから。


それもそのはず、自分と真剣に向き合うにもエネルギーが必要です。コンディションが整っていなければ「本当はどうしたい?」と聞かれても、わからない、特に何も…と思うのも無理はないです。なので、まずは自分を整え、満たしていくことをじっくりゆっくり学びました。


3年と言われていた派遣契約が急に早まる。


迷走していた時のような不安はなく、「なんで、私ばっかりこんな目に!」とヒステリックだった私が、少しずつ物事を多面的にとらえられるようになりました。


それは出来事の表面的な部分【辞めさせられる】だけでなく、その奥にある【なぜ、ここを離れる流れになっているのか?】という視点も持てるようになったからでした。


「あなたはどう生きたい?」そう自分に何度も何度も問いかけた時、私は「愛で溢れた人になりたい」ことを思い出しました。


本質の自分が創りたい世界を具現化できるのも自分。


これからも自分とのパートナーシップを構築していく必要はありますが、「自分自身で心と身体を健康に幸せにできる!」という私自身の体験を通して伝えられるセラピストでありたいです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。次はあなたのことを色々と教えてくださいね!お会いする日を心よりお待ちしております。



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