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はじめまして

  • 執筆者の写真: 中原みき
    中原みき
  • 2022年1月8日
  • 読了時間: 7分

更新日:4月23日



リラクゼーションサロンせん、セラピストの中原みきです。


「最初は女の子がいい、お前の助けになる」と母に言っていた父の希望通り私はこの世に誕生しました。私が生まれるまでの過程で色々なことがあり、皆が待ち望んだ待望の第一子として喜ばれたそうです。


子どもの頃はお手伝いが好きで、周りが喜んでくれると「私も嬉しい」「もっと喜ぶ顔がみたい」と純粋に思っていた子ともでした。


長女ということもあり何かと「お姉ちゃんなんだから」と言われ、小学生の頃は母が2個下の弟の明日の準備を手伝う姿に「手伝うなー!」と泣きながら仁王立ちになって怒っていたそうです。


成長過程で「私が頑張らなきゃ!」とプレッシャーが強くなり過ぎて自己否定しやすく、何か苦しいことがあってもあまり口には出さず過ごしていました。


だんだんと自分自身でも感情をコントロールすることがわからなくなり、よく「もういい!」「別に…」「どうせ私なんかいらない子」と心の扉をバンッと閉めて殻に閉じこもるようになっていました。


思春期真っただ中に両親の離婚と父の再婚を経験しましたが、私はその時に心と身体のバランスを崩し、生理不順、便秘になりました。


過食、飲酒にはしったり、いっそのこと消えてなくなりたいと思っていたり、モヤモヤする気持ちをどう扱っていいのかわからず、涙が出てきたり、つらくて苦しい…そんな気持ちを考えないでもいいように、楽しいことをしたり、私を幸せにしてくれるであろう存在に依存していた黒歴史です。


本質的な部分は好奇心旺盛で冒険心が強いのに、恐れと不安からくる選択で行動していたので、客観視すると衝動的で気分屋で、「やめときな」「もう少しよく考えて」と言われても、暴走して痛い目にも合ったこともあります。


高校卒業後は料理人を目指して京都の飲食店へ就職しましたが人間関係がうまくいかず3カ月で退職しました。「石の上にも三年」という言葉を何度も自分に言い聞かせたけど、「もう無理!」というほどに私は追い詰められていました。


「もう地元に帰った方がいい」周りが心配する声もあり、次にやりたいことが見つかるまで…という気持ちで地元に出戻りました。


私は幼少期から父方の祖父母宅で暮らしていたので、そこに戻りましたが、父からは「ここはお前の家じゃない。お前は何のために生きとるんか?」と言われたことがきっかけで、父をさらに嫌悪し「私なんかおらんくなればいいんじゃろ!」と言い捨て、そこから母方の曾祖母宅でお世話になりました。


20代半ばに入った頃に父が事故で突然の他界。その日は父の日でした。父も私も自分の気持ちを伝えることが苦手だったし、親子で会話した記憶はほぼありません。


本当は聞きたかった、「ねぇ父さん、私のこと大切?私が生まれてきて良かった?」ただただ父から愛されているという実感と確信が欲しかったです。


振り返りの中で、20代の私は自分の不幸を人のせいにして自分を守り、大切な人たちを傷つけ、ただ漠然と「幸せになりたい」というエゴイズムで生きていたように思います。


次にやりたいことも見つからず、毎日が淡々と過ぎていた頃、母方の祖母が病気で入院しました。


なるべく会いに行き、パンパンになった足を撫でると、「ラクになった、気持ちいい」と言われたことで、子どもの頃に感じた純粋なあたたかいものが流れ込んできたのを覚えています。


心機一転、30歳で新しく何かを学ぶことは毎日が新鮮で楽しかったです。アロマセラピーの知識だけでなく、心理学、基礎医学、統合医療の考えに基づくメディカルアロマやメディカルハーブを学びました。


さらに、カイロプラクティック、リフレクソロジー、カラー色彩など今まで知らなかった資格たちにテンションぶち上げ〜☆当時の手帳を見返すと隙間なく予定がびっちりと書き込まれていて、どことなく気持ち悪さと不安を感じる手帳ですが…


そしてスクール卒業間近、資格取得したはいいけど進路が決まらない事態に追い込まれます。


祖母のように苦しんでいる人たちの手助けがしたかったので医療機関を希望していたけど、「この業界はきついよ」と面談で言われたことで現実を突きつけられ一気に怯みました。


ほとんどがリラクゼーションサロンの求人の中で、あれ?何かが違う…何を選んだら正解なの?私のやりたかったことって何だっけ。ヤバイ、人生の選択ミスったかも…ここから私の迷走期が開幕しました。


お金の余裕は心の余裕と誰かが言っていたけど、「お金がない!」ということで思考回路がおかしくなります。


貯金が減っていき、将来が閉ざされていく感覚です。生活するために働く日々の中で、ホントにやりたいことを考える余裕はないです。


どこへ行ってもここじゃない感で職を転々とし、不足と不安感で占いにハマったり、「その職場はやめた方がいい」「その男とは別れた方がいい」と私には見えていない何かを見ている不思議な力に惹き込まれ、オススメされた転職先でイジメの標的になりストレスから体調を崩すようになります。


「強くなるために必要」「あなたが弱いから」と言われたけど、癒しを提供する自分が病み、再び無職、金ナシ、男ナシ。落ちるとこまで落ちきったのか、「よし、セラピストから一旦離れよう!」と不思議な気持ちが湧いてきたことで廃人のような生活から脱却できました。


「どうせならやったことないことをやろう!」とすぐに派遣登録へ赴き、何社かピックアップ。すぐ面接していただけた、未経験者歓迎の建設会社の事務員に即採用になりました。


セラピストになりたくて、来阪したのにそれを手放すって何の為にここに存在しているのか、今までつぎ込んだ時間とお金は何だったのかと思ったりしている中で、2019年に今の自分へと繋がる出会いがありました。


その数カ月後、「お金が…」、「時間が…」ともたもた悩んでいた気持ちが急に晴れて、

この時に決断した事が、今後の私の人生に大きく関わる分岐点だったと感じています。


人のせい、環境のせいにして、助言してくれる人に頼った方がラクだったし、ずっとそうゆう人生を送っていたけど、「もう、やめたい!」と思えたのは自分軸のない私に自分で気づけたからです。


「誰かが幸せにしてくれる(してほしい)」と思っているうちは根本的解決にはなりません。


心穏やかで楽しい生き方を手に入れるためには改めるべき思考があります。厳しい言い方かもしれませんが、自分に起こる出来事は自分が選んだ結果だということです。


師から問われた『あなたはどう生きたい?』という質問に私は答えられませんでした。


今まで「私はどうしたらいいんでしょうか?」と答えを聞いて生きてきた人生だったので、自分がどうしたいかなんてわからず、もどかしく、その答えはしばらく経ってからわかりました。


それもそのはず、自分と真剣に向き合うにもエネルギーが必要です。コンディションが整っていなければ「本当はどうしたい?」と聞かれても、わからない、特に何も…と思うのも無理はないです。なので、まずは自分を整え、満たしていくことをじっくりゆっくり学びました。


自分で自分を幸せにしていくために私は何に不足を感じているのか、一体何を望んでいるのか、どう生きていきたいのか、必要な答えはすべて自分の中にあります。自己探求して「本来の自分を生きていくんだ!」と自分自身に希望を感じていました。


3年と言われていた派遣契約が急に終了を迎えましたが、迷走していた時のような不安はなく、「なんで、私ばっかりこんな目に!」とヒステリックだった私が、少しずつ物事を多面的にとらえられるようになりました。


それは出来事の表面的な部分【辞めさせられる】だけでなく、その奥にある【なぜ、ここを離れる流れになっているのか?】という視点も持てるようになったからでした。


「あなたはどう生きたい?」そう自分に何度も何度も問いかけた時、私は「愛で溢れた人になりたい」ことを思い出しました。


本質の自分が創りたい世界を具現化できるのも自分しかいません。


これからも自分とのパートナーシップを構築していく中で、「自分自身で心と身体を健康に幸せにできる!」という私自身の体験を通して伝えられるセラピストでありたいです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。次はあなたのことを色々と教えてくださいね!お会いする日を心よりお待ちしております。



 
 

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